風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その263+365+347)

『視覚はやはり表層しか捉えない(必ずしもそれが悪いわけではないが)』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 そんなの、ダメだ。(挨拶)


 朝夕は晴れていたものの、日中は曇りがちだったらしい(未確認)。天気予報で「真冬の寒さ」という言葉を聞いたが、暦は12月中旬も過ぎようとしている。すでに真冬ではないのか。
 この時期になると、どこもかしこも電飾を施して街や施設を彩っている。なぜこの季節に、という疑問もあるのだが(多分、夏にやると暑苦しいからだろうけど)、何よりも、いつまでこんなことをつ続けるのだろう、という思いが強い。
 以前は白熱灯を使用していたので、電飾を施していた街路樹に悪影響を与え、それを非難されることもあった。それを受けて、最近では発光ダイオードが主流のようだ。発熱量が小さく、消費する電力量も少ないので理想的だ、という言い分なのだろうけど、しかしやはり最も理想的なのは止めてしまうことだろう。コストを負担する側にとっても、それがいいに決まっている。


 それでも続けるのは、コスト以上の宣伝効果が望めると信じているからだ。視覚に訴えかけるというのは、確かに有効な宣伝効果を生むだろう。しかしそれは中身が伴っていないことの裏返しではあるまいか。