風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その262+365+347)

『仮想現実とは現実と等価でなければ、所詮は映像系作品に過ぎない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 Dr.スランプと同系列の匂いが…。(挨拶@MUDDY)


 朝の最低気温はこの冬一番の冷え込みだったらしいが、日の出後は速やかに暖かくなり、夕方頃までは程よい気候。夜になると急速に温度は低下。明朝も寒くなりそう。
 セカンドライフが過疎化しているらしい。記事はココで。
 個人的にはまるっきり興味がない。記事内で過疎化の原因として、要求PCスペックが高い/何をしていいか分からない/何をするにもお金がいる/人気の場所はエロかギャンブルというものが挙げられているが、風鈴製作者としては、あの程度の物は仮想現実ではない、というのが理由だ。あれはネットゲームの一種であろう。
 たしかに現実の通貨に換金できたりと、リアルワールドとリンクはしているが、本当にセカンドライフがひとつの世界だというならば、その世界内だけで完結するだけの広がり(可能性)がなくてはダメだろう。わざわざ換金というシステムを用いて客寄せをしなければならないということは、それほどの価値がセカンドライフにはまだ存在しないということだ。


 もちろん仮想世界はまだまだ進化する。記事内にもあるが、今は黎明期であり、いろいろな面で敷居が高いのは当然のことだ。これを一般に浸透させるには、有益性の向上や簡単な操作性などももちろんだが、なによりも社会全体が裕福となり、個人の時間が多く取れるようになることが必要だ。今のままでは到底そんな時間は作れまい。(多分、そこまでの過程で『電脳コイル』の作中にあるような現実に即した仮想システムが開発される)