風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その261+365+347)

『男性は引き込まれる。女性は引きずり出す』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 何で郵便局の再配達は自動受付の方が受付時間を早く打ち切るのん?(挨拶)


 今日も快晴。徐々に慣れてきたのか、朝もそれほど寒くは感じない。しかし太陽光は相変わらず眼に痛い。
 物語に入れ込む場合、男性は自身を作中のキャラに投影、あるいは自身を作中の登場人物として捉え、作品世界そのものを受け入れ、引き込まれる傾向にある。一方、女性はと言えば、作中に入り込むよりはむしろ作品内のあるシチュエーションを現実として捉え、それによって得られる陶酔感を楽しんでいる節がある。
 男性は現実を無視して作品内に入り込むため、現実では到底ありえないようなキャラクターも容易に受け入れるし、またその世界観を非常に大事にする。対して、女性はあくまでもその瞬間の場面を抽出し、あくまでも現実にいる自分自身としてそれを受け止めているので、あまり作中の細かい設定などは気にしない。こういった傾向は一般的な少年漫画と少女漫画の作風を比較すれば分かることであるし、また二次創作作品を見ても、それは顕著である。男性の描く同人誌は設定が妙に細かく“世界”を構築しているのに対し、女性の描く同人誌はとにかく特定のシチュエーションを妄想して、それだけを描くことに苦心している。


 どちらが優れているか、などというのは需要の問題なので意味を為さないが、そういう傾向は確実にある。もちろん競合する部分もあるし、まったく逆の事例も少ないが存在する。そして、当然この分析は風鈴製作者の主観によるであることは明記しておこう。