『評価は公平に比較できるものを基準にしなければ意味がない』
※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。
次号より、しばらくの間休載いたします。ご了承下さい。再開が決まり次第、本誌の方でお知らせいたします。(挨拶@次は春くらいですか? …2009年の)
晴れ時々曇り。朝はとても冷え冷え。そして朝日が眩しくてまともに目を開けていられないのは相変わらず。いや、サングラスをかけるなり帽子を被るなりすればよいのだけど…。
劇場公開映画の評価のひとつに興行成績というものがある。要するに、いくら儲けたか、という実に俗物的な評価法なのだが、実際、これがまったく意味のないものであることは明らかだ。
どんなジャンルであろうと、興行に投下される資本によってその規模は大きく変わる。しかし純粋な意味での比較とは同じ条件で行われなければ意味をなさない。劇場映画の場合、そもそもその映画を公開している劇場の数に大きな差があるし、また各劇場の公開回数や席数にも差があるのは分かりきったことである。そういったことを無視して興行成績で順位付けしているのは、けして映画の評価などではない。それによって評価されるのは宣伝規模の順位だけではあるまいか。
映画の評価をするならば、公開された全劇場の【公開回数 × 席数】の総計で観客動員数を除算した数値で行えばいい。その数値が1を越えたら間違いなく大ヒットと言えるだろう(まずありえないだろうけど)。
収益の数値で比較をするのは確かに分かりやすい。しかしそれだけで判断するのは早計以外の何者でもない。これは株などにも通じることである。