風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その253+365+347)

『“天然”とは特に悪しきものでも、ましてや奇異なものでもない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 骨、うめぇーーーーっ!!(挨拶)


 やや雲が多かったが、晴れ。日中は風が強かったようで、落ち葉が大量発生。しかし夕方には風もなく、やや平年よりも高い気温だったと思われる。
 人の言動や行動を指して“天然”という表現がある。主に状況にそぐわないモノに対して向けられる一種の揶揄であり、そういった行動を頻繁に取る人を称してそう呼ぶのだが、長じるとこれもキャラ付けとして愛されるようになる。ただ、この“天然”とは“周囲とは違うもの”という意味合いが強い。推測だが、“人工”に属する人間社会に即して生きている(と信じている)大多数に対して、そこから少しズレているように見える人を、対義語である“天然”というレッテルを貼ったのが始まりではあるまいか。多分、それほど起源は古くないと思う。


 一見、そのささやかな害のない特異性から周囲に愛されているように見えても、当の本人は悩んでいる場合が多いだろう。“天然”と呼ばれるのは、あなたの常識は普通ではありません、と言われているようなものなのだから。