風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その250+365+347)

『お金をかければ成果が上がるものと、そうでないものがある』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 いくらなんでも忠誠心が尽きますって。(挨拶@皿場工舎さん)


 今日も朝は寒かったが、しかし日中は穏やかに晴れて暖かくなった。しかし一方で鹿児島では最低気温2℃を記録している。
 最近、アニメーターの低賃金や、それに伴う生活の苦しさを特集した記事を見かける。確かに昔からあの業界の低予算は有名で、そのあまりの冷遇振りに業界自体の崩壊すら危ぶまれているが、かといって予算を湯水のように投入すれば良い作品が生まれるかといえば、そういうことではない。
 製造業とは違い、個人の感性がモノを言うクリエイティブな業種は、物量ではなく優秀な人材が必要とされる。それはけして予算があれば手に入るものではないし、同時に他者がそういう人材を育てられるものではない。感性とは人生そのものである。ゆえに誰かが作り上げようとしてできるものではなく、また本人が意識的に学んで完成するようなものでもない。だからこそ独特の感性の持ち主は希少なのである。


 もちろん計算ずくめで作れる作品はある。そういう作品でも面白い物はあるし、けして無価値ではない。しかしそれが記憶や記録に残るかどうかといえば、難しいのではあるまいか。