『嘘は半ば反射行動。沈黙はどちらかと言えば思慮深い』
※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。
ぷにぷに…。…ぷおーっ!(挨拶)
昨夜から引き続き曇り。予報では雨だったが、結局、降らなかったようだ。気温は低く今季一番の寒さ。最高気温は深夜(午前中)だったようだ。
観測や判断が誤っているために、結果として嘘になっているものも含めると、嘘のほとんどは、何かを一時的にでも保護しようとするための反射行動である。物事の最後まで計算づくで嘘を吐くというのは稀だ。
一方、沈黙というのは嘘と比較すると思慮深く、ある程度は先を見据えた行動であろう。人によってはこれをどっちつかずの卑怯な行為と受け取るようだが、そもそも物事を二元論で考えることが短絡的であるし、同時に、絶対に敵か味方にならなければならない、という思想自体が野蛮であると言わざるを得ない。また沈黙とは相手にやんわりと再考を促す行為でもあり、けして卑怯な手段などではない。
これはもちろん風鈴製作者の主観によるものだし、沈黙という手段を使って、後々“言っていない”という言い訳にする場合(=防衛行動)もあるだろう。しかしそれでも安易に嘘を吐くよりは、相手に根拠のない期待を持たせない分、マシだ。