風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その238+365+347)

『追い詰められないと真価を発揮しない人はスポーツ競技には向かない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 いいえ → そんなこと言わずに! → いいえ → そんなこと言わずに! → ...endless(挨拶)


 まだまだ快晴。朝は寒かったが、日中はそこそこ暖かい。夜も晴れ渡り満月が綺麗だった。ふるふるフルムーン。
 以前にも少し触れたことだが、訓練とは根本的な実力を向上させることが目的であるのと同時に、その実力を速やかに発揮できるようにすることもその範疇に含まれる。あまりスポーツ科学には詳しくないが、メンタルトレーニングはそういった効果を期待した訓練ではあるまいか。
 しかし一般レベルにおける練習では、こういったことはほとんど省みられていない。おそらく指導者にそういった感覚を味わった経験がなかったり、あるいはそれほど勝ち負けに頓着していないが故に練習法の追求を行っていないからだろうが、実際、ロースターターの競技者はなかなか成果が上げられない。何故なら、競技スポーツとは基本的に先出しでポイントを獲得していくものであって、必ずしも総合的能力を測るものではないからだ。これは個人競技において、より顕著である。
 しかしロースターターなだけならまだマシで、たまにギリギリまで追い詰められないと実力を発揮しない人間もいる。これは“やる気を出す”とかそういう話ではなく、逆に言うならば、追い詰められると極端に強くなる(しぶとくなる)人間がいる、という話である。断じて誉めているのではなく、それはそこまでならないと実力を出せないというメンタル的な甘えが原因なのであり、同時に、仮に追い詰められてから全力で相対しても、すでに手遅れの場合が多いのでまったく損なタイプであると言わざるを得ないということだ。
 こういった人間は決定的にスポーツ競技には向かない。後出しで切り札を切る、というなら問題ないのだが、こういう人間は切り札を持っていても、それを自由自在には出せないのである。すでにそれは切り札でもなんでもない、ただの宝の持ち腐れだ。もっとも、まさしく風鈴製作者がそういうタイプなのだが。


 そういう人間は常時、修羅場っているような職に就くとよいかもしれない。恒常的に追い詰められていれば、平時でも実力が発揮できるようになるかもしれないからだ。…あまり長生きできない職業選択かもしれないが。