風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その237+365+347)

『何かを為すには団結しなければならないと信じることは、ある意味で人を信用していない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 討ち取ったりぃ〜!(挨拶)


 天気は快晴。空気は乾き、少し唇が割れた(痛)。
 さて忘年会の季節である。風鈴製作者の周囲でもちらほらと企画されているようだ。しかしどうも人数の集まりが良くないようで、掲示板に告知をするだけでなく、直接、参加してもらえるように勧誘している。…いや、別に少人数でもやりたい人だけでやればいいのに。
 このようにイベント事があるたびにわざわざ全員に参加を呼びかけるスタイルは、やはりかつてまたあまり裕福ではなかった時代に、一致団結して強引にでも上を目指そうとしていた頃の名残だろう。昔は会社の中でも、大学などの部活・サークルなどでも“全員参加”は常識だったのだ。
 しかし最近は自由に行動する若年層が増え、昔のように上司や先輩としての権力を背景とした強制参加も鳴りを潜めてきている。昔に比べ娯楽の種類が増えたことで嗜好の分散化が為されたことや、個人主義の台頭や職権乱用といった横暴を許さない風潮が生まれたことが原因だろう。
 “全員参加”が常識だった時代には、そうすることによって仲間意識や帰属意識が生まれ、団結心が養われることで仕事などに対するやる気を出させることを狙っていたのだが、一方でこういった内側を守り育てようとする意識が不正の温床になったということも否定はできないだろう。皆が必死になってひたすらに前ばかりを向いて先へ進もうとしていた時代ならばそれでよかったのだが、一旦、止まってみたら綻びだらけだったというのが、15年位前から現在までの時期である。


 本来、仕事(等)はバラバラに動いているのが普通だと思う。互いに干渉せず、それぞれがそれぞれの作業をしている方が効率がいいし、何より自由だ。それでは仕事は成り立たない、と思うのは間違いである。ただしこれには前提条件がある。――――それぞれがそれぞれの責任を果たすことである。