風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その236+365+347)

『装飾はコミュニティの象徴でもある』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 実は御統ユリカさんが結構好きなんです。(挨拶)


 またまた快晴。しかし空気は乾き、気温はさほど上がらず、いよいよ冬らしくなってまいりましたぁ、たぁ、たぁ!(ハイテンション)
 子供が化粧をしていると反発心を抱く大人は多いようだが、何故いけないことだと考えるのか不思議である。基本的に化粧というのは自らをより美しく見せようとする行為である。そのこと自体に年齢など関係ないし、それを観察する側もより美的なものを目にすることに何の不満があるというのか(付け加えておくが“美”と“魅了”はまったく別物である)。あえて問題点を挙げるとするならば、年齢にそぐわない厚化粧などをしてしまうと逆に肌荒れを招くので、そのことは留意すべきだということくらいか。
 また別の問題として、化粧の範疇であるものの、一般にまったく美しくは見えないものがある。しかしこれは一種の紋様、あるいはシンボルのようなものだろう。特定ジャンルにおける共通的なファクター。または閉鎖的な場における軽度の脅迫的観念による帰属意識。ある個人に対する同一化願望による模倣――――化粧が“美しく見せる”という本来の意味を越えて、まったく別の意味を持つ場面はいくらでもある。


 化粧や装飾は同じ民族、同じ組織、同じ思想、同じ嗜好を示す象徴ともなる。これは世界のどこにでも見られる風習だ。学生が学生服を纏い、サラリーマンがスーツを着てネクタイを締めるのもこれと同じことである。