風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その233+365+347)

『命の喪失に対する恐怖を上回らんとする能力。それを持つのもまた人間』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 なんかフリーザ様の戦闘力みたいになってきた。(挨拶@ユピーのオーラ量)


 天気は晴れのち曇り。朝は初冬らしい寒さとなったが、日中はそれほど冷え込まなかった。
 人間は慣れる生き物だ。寒暖や時差、苦痛など様々な負荷に対し、類を見ない速度で適応する。種族として世代交代を経て適応するのではなく、一個体としての適応する能力の高さは異常とも言えるだろう。
 その理由は脳にある。様々な知恵を生み出す、という意味でもあるが、それ以上に環境に対応した肉体感覚の調節や、意思力に応じた感覚の鈍化なども挙げられる。またオピオイドの分泌によって、命そのものの喪失すら厭わずに行動し続けるという、生命体として矛盾した機能も持ち合わせている。


 本来オピオイドの分泌は命の危機に際して、そこから脱するための機能であると思われるが、人間はそれを訓練によって、まったく無関係の場面で用いることを可能にしている。訓練とは即ち、特定の条件に耐え、同時に慣れるということだ。行き着けば、人間は死の恐怖にも慣れるのである。元々、死に恐怖を持たない他の動物とはワケが違う。