風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その232+365+347)

『未来への道筋を読むことは、あらゆる分野の真髄である』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 実は3日前から右背下部が痛い。多分、軽度の肉離れ。(挨拶@古傷)


 昨日の寒さはひとまず治まり、暖かな日。しかし夕方から風が強まり、体感的には少し寒くなった。朝には大量の落ち葉が見られるだろう。
 明確な結果というものがある行動には、必ず最適な選択よって導き出される答えがある。一般に人はその答えに向かっていろいろなものを集積し、道を作っていこうとするが、その段階にいる限り、物事の真価は得られない。何故ならありとあらゆる“答え”というものは構築するものではなく、すでに存在しているものであり、そこに至る最適最短の道も同様だからだ。
 思考活動においても物理的活動においてもそれは共通であり、道は作るものではなく、辿るものだ。一見、無数にあるように思える道の中から、正しい道を見通し、答えに至る。これがある種の極意であり、真髄であろう。


 けしてオカルト的な話ではない。ひとつ例を挙げておこう。数学の問いに当たる際、最終的な回答を知ることなく、なんとなくそこまでの思考すべき道筋が見えてくるという感覚がある。嘘だと思うなら、身の回りにいる数学が得意な人に聞いてみるとよい。