風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その229+365+347)

『生産している限り環境の破壊は止まらない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 Living is Destructive.(挨拶)


 なおも快晴で、気温も上昇。おまけに夕方前から雲が出始めたため、夜になってもさほど気温が下がらず暖かい。
 人間は生きているだけで環境破壊をしている。すでに使い古された言葉で、至極当然のことなのだが、これを解さない人間は多い。多分、自分は善人である、という当該の問題とはまったく無関係な思い込みから拒絶するのだと思う。
 環境破壊というと、現在では主に燃焼による二酸化炭素濃度の上昇に伴う温暖化ばかりが取り沙汰されているが、石炭や石油が大量に使用される以前から、人間は環境破壊をしているのである。砂漠化がそのひとつだ。
 アレは主に樹木の伐採や農耕を行うことによって起こる。樹木を伐採することによって土の保水量は下がり、植物は生育しづらくなる。また同じ場所でずっと農耕を行うことはその土地のミネラル分を極端に損ない、やはり植物は生えなくなり、さらに保水量は下がる。結果として土地の砂漠化が進むのだ(それだけではないが)。


 ものすごく簡単に言うと、環境破壊とは物体の極端な移動によって起こるのである。住居を建てるために樹木を伐採・輸送し、食べ物を供給するために一箇所で大量に栽培・輸送し、便利さのためのエネルギーを生み出すために地中にあったものを大気に放出している。今まで(120年くらい前まで)は許容範囲内だったのだろうが、人口が増え、科学が進み、ありとあらゆる場所から右へ左へ物を動かすようになった現在、急速に環境が悪化しているのは当然である。