風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その224+365+347)

『情報が統制されているからこそ大きな流行は起こる』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 観凪流闘術・一刀『一風』。(挨拶)


 昨晩から引き続き雨。久しぶりに本降りで、少しで歩いただけでズボンの裾が湿ってしまった。17時くらいに一旦は止んだものの、深夜になってから再び降りだした。
 流行というものは広範かつ短期間に特定の情報が流布されることによって作られる。ただそれが広範囲になればなるほどに物事に対する価値観や見解の相違が大きくなるため、それ以上の広がりを見せることはない。同様に範囲が大きければ大きいほどに背反するものや、競合するものが現れる可能性が高くなる。
 一般に同じ国内であろうとも生活様式や文化の違いから、単一のものを全員が受け入れてもてはやすことなど起こり得ない。しかし情報が統制され、“それしかないのだ”と錯覚させることができればこれも可能となる。
 この国ではだいたい7〜8年くらい前まではそういったことをして流行を製造してきた。しかしそういうやり方もネットワークの普及に比例して通じなくなってきている。今はまだ自ら情報を収集しようとしない人が多いので、一儲けするくらいには流行は作り出せるが、全国的にそれを行うのは最早不可能であるし、さらに二世代も移り変わればまったく通じない手法に成り下がるだろう。


 未来における“流行”とは一分野内のさらに一部分におけるものを指す言葉(“マイブーム”をわずかに広げた程度)となるだろう。もちろんそれは特定の地域におけるものとは限らないが、現在における“流行”という言葉は死語と化すことは間違いない。