風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その223+365+347)

『何もかもを誰かのせいにして責任を負わないことは、文明人としての自己を手放している』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 修練によって虹彩を操作、ですか…。(挨拶@んなことできねぇー!)


 朝からやや曇っていたが、夕方からは湿度も上昇し、やや蒸し暑く。夜になると雨が降り出し、22時くらいから本降りとなった。
 文明とは学術や文化が発展し、社会性が構築されある程度生活が豊かであることを言う。ではそのような世界がどのように構築されたかといえば、やはり農耕を行い、生活に安定がもたらされた結果、生産以外の役割を果たす人間を養うことが出来るようになり、職能の多様化・細分化が為されたことによる。
 各々がそれぞれの役割に責任を持ち、行った労働の対価として禄を得る。このひとりひとりではとても小さなピースが大量に集まって積み重なり、構築され、同時に維持されているのが文明であり、そのピースであることが文明人である証しのひとつだろう(風鈴製作者は文明社会を一個の機械で例えるには無理があると考える。よって“歯車”とは例えられない)。


 別に文明人であろうとしないのは自由だ。ただそうすることによって野蛮人、あるいは無知な原始人の誹りを受けることは覚悟すべきだろう。