風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その216+365+347)

『命をもって抗議するならば、それは自殺であってはならない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 ジャンプスクエア創刊! …まだ買ってないけど。(挨拶)


 概ね晴れて、日中は暖かくなった。しかし朝晩は少し冷え込み、薄手の上着一枚だと寒々しい。
 小劇場での舞台芝居を観に行った。演目は『アンティゴネ』。内容は有名なギリシャ神話(あるいはそれを題材にした悲劇)なので検索をかければ調べられるだろう。
 人倫的習俗側に立っても、法定的義務の遵守側に立っても、“神”の存在とその意味を知らないと、本来示唆していることの理解は難しい作品なので、絶対的な宗教的信仰心を持つ人が圧倒的に少ないこの国においては、単に人間感情 vs 人工的な法、という構図と捉えやすい。だが元々、埋葬という行為は宗教的義務であるし、法もまた神より王権を授受された王が定めたものである。この背反をどのように考え受け止めるかは個人の自由なので言及しないが、事実としての歴史においては、少なくとも神授された王権による法はほぼ駆逐された。ただし、これの原因の多くは王が為政者としての適正に欠け、全体の公平性と公共性の追求を失していたからであり、必ずしも“神”の手による法が敗れたということではない。


 あえて『アンティゴネ』内における、見せしめとして死体を遺棄せよ、という法ついて語るならば、アレは紛れもない悪法であろう。何故なら死体は腐り、非常に不衛生なものだからだ。埋葬という行為には宗教的義務以前にそういった側面が強い。そのことは古代人も知っていた、公共の利益を守るための行為だ。これを禁じることは為政者として失格である。