風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その214+365+347)

『非常時には、ある意味で周囲から浮かなくてはならない場合がある』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 あんたがったどっこさ。(挨拶)


 朝、起床時にはすでに雨は上がり、晴れ渡っていた。植物も落葉が始まり、季節の移ろいを感じさせる。
 巨大地震や火山噴火、大津波など、自分の生活領域そのものを飲み込む規模の災害に見舞われたときには、一にも二にもなく逃げ出すのが動物本来の姿である。野生の動物などは何らかの異常(磁気異常など)を事前に感知し、災害発生前にその場から逃げ出すものだが、人間はそういった能力が退化してしまったのか、それとも固有の意思が強すぎるためか、こういった能力を示す者は少ない(いなくはないようだ)。なので、事前に感知できない以上、動物などよりもよほど早々に逃げ出す必要があるのだが、いつまでももたついて逃げ遅れる人間は後を断たない。
 経済的支配力が大きいがために、個人で抱えるには多すぎる財を即座に捨てきれないことが一因であり、また社会性が発達し、同時に様々な情報が氾濫する地域においては、重大ごとであればあるほどに自身の判断に身を委ねることができず、周囲の反応を見てから行動するようだ。結果として周囲の人間全員が逃げ遅れるのである。


 強力なリーダーシップを発揮する人間がいればよい、という考えもあるが、様々な情報が錯綜する現代においてそういった(一時的であろうと)絶対的な存在を望むのは難しい。確かに集団的な一致団結は災害時において必要なことだが、しかしそういうものが真に必要なのはどちらかといえば災害発生後、時を置いてからであろう。壊滅的状況においては、ある程度、個で動くことが求められる。