風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その213+365+347)

『他者と何かを争うときに大人しく控えめで素直では負けるしかない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 起立、礼、脱走!(挨拶)


 日中は晴れて気温も上昇。薄手の上着を羽織ってちょうどよい感じ。深夜になり雲が出て、じきに雨となった。しかし予報では明け方には止む模様。
 勝負に際して、何の事前準備も検証もなく、行き当たりばったりで思考の欠片もない戦い方をしていて勝てるわけがないのは自明のことだ。相手よりも実力が劣っていれば尚更である。逆に言うならば策を用い裏をかき、相手の想定外の行動を取れば、たとえ実力が劣っていようとも勝ちの目は必ず見えてくる。
 しかしコレを、卑怯だ、とか、正々堂々と戦え、などと非難する人種がいる。断言するがそういうことを言っている人間は真剣に物事に取り組んだことがなく、本当に悔しい思いをしたことのない人間だ。だいたい実力だけで競えと言うのは、それは才能で劣る者は大人しく負けろと言っているもの同然だ。どんな分野であろうとも、それぞれに適正というものがあり、それに沿った才能を持たない者は持つ者に比べて格段に能力の修得に時間がかかる。才能のあるなしに関わらず、努力にかけられる時間は平等だ。同じ努力を同じ量こなしたところで才ある者に勝てるわけがないのだ。ならば純粋な技量以外でその差を埋める他ない。これを認められない人間は一種の選民思想を抱いていると言っても過言ではないだろう。


 ルールを破れ、と言っているのではない。その競技の範囲内で、自分のできることの中から最大限の効果を上げられる手段を選択し、同時に相手の実力を発揮させないように事を運ぶことこそが勝利への道だということだ。参加することに意義がある? 負けて悔い無し? そんなことを言うくらいなら戦う前から降伏すればいい。無駄な時間を過ごさずに済むことだろう。