風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その200+365+347)

『別に弱い者を狙うことは不思議でもなんでもない。むしろ合理的判断である』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 世界の半分をくれてやろう、ってそんな曖昧な契約は結べません。(挨拶)


 朝は静やかに晴れていたが、夕方にかけて徐々に雲が広がった。だがそのせいか気温はそこそこ上昇。夜になってもさほど下がった感じはしない。
 先に断っておく。それが人間的惰弱さ故であることは疑う余地がない。弱く、情けない、卑屈かつ卑劣な人間だからこそそういう判断をするし、そういう判断に従わざるを得ないのだ。
 何やら兵庫県で子供が自宅前で刺殺される事件があったようだ。記事はコチラで。
 別に推理するつもりはないし、そもそもまったく無関係ゆえに情報が少なく、またその正確性にもかけるので推理できようはずもない。だから疑問点をいくつか挙げておく。


・何故、同居している母親と別姓なのか。
・何故、3児を抱える母親が、現状、無職なのか。
・何故、殺害現場が自宅前なのか。
・何故、姉と会話した後の、自転車を停めるわずかな時間で(しかも2回、腹と狙ったかのように左胸を)刺したのか。


 おそらく両親が離婚して1年程度しか経っていないため、被害者(小学2年生)は学校での利便性を鑑み、性を変えていないかった。母親が無職なのも、そのためではなかろうか(かなり不確定だが)。殺害現場が自宅前、というのは、怨恨等による示威行為、と考えるのが妥当だろう。家族と会話していたのを見た後に殺害を実行する辺り、殺傷にかなり強い意志を感じる。合理的な判断の元であろうと、何らかの狂気によってであろうと、あまりに露骨過ぎるし、適切な捜査をすれば自ずと犯人は捕まると思われる。