風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その194+365+347)

『いつまでも同じネタを振る芸人は消え去る運命にある。それは他の分野でも同様だ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 イムさんじょ氏、チャレンジャーだなぁ…。(挨拶@『ろりぽ』23品目)


 朝からしばらくは曇っていたが、午後はすっかり晴れて暖かかった。上着は要らず、半袖一枚で充分だったが、町を行く人々は9割がた上着着用。…アレェ?
 ここに10万人の宮○勤がいます!、が通じる人は多分20代半ば以上だろう。よくもまああんな名誉毀損発言を公共の電波に乗せたものだ、と今でも思うが、当時は“オタク”というものはあまりその存在を認識されていなかったし、またその数もあまり多くないと思われていたようなので、あんな差別発言がまかり通ってしまったのだろうと認識している。
 現在でもいまだに猟奇殺人が起きればゲームなどの残虐性のせいにし、幼子誘拐が起きれば漫画やアニメの影響を受けていることにしようとする風潮は変わらないが、昔と比較すると、特定のジャンルを限定して攻撃するようになっている。やはり徐々にではあるがオタクの数が増えていることや、ネットワークの発達からどんな批判行動を展開されるか分からないことから、オタク全般を敵に回すようなことはしないようになっているのだろう。


 もっとも世情に疎い人(思い込みの激しい人)は、オタクなんて内向的で孤独な人間ばかりだから集団行動なんてできないだろう、とか思っているようだが、すでにある運動においては相当な数の署名が集まっていたりする。確かにデモ活動をしたり、暴動を起こしたりする可能性は低い。しかし自分たちの好きなことを守ろうとするエネルギーは大きい。ただ、それが暴力的な方向に向かわないため、目立たない(マスコミが取り上げない)だけだ。彼らはとても理性的で平和的なのである。