風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その191+365+347)

『分離して考えること。それこそが公平さを保つコツだ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 溢れ出せ、煮汁っ!(挨拶)


 早朝はまだ晴れ間もあったが、すぐに曇り、10時前には雨が降り出した。昼過ぎには風も吹き始め、世間一般的にはあいにくの天候だったようだ。夜には雨は上がり、星が見えるようになった。
 コンサートなどのイベントで必ず問題として挙がるのが、地域住民への配慮や警察や消防の治安上の指導だ。コミックマーケットもそうだが、どのイベントにおいても、こういった話は付き物である。
 こういった諸問題に関して、イベント運営側が予算や人員を割いて対処するのは当然だし、一般参加者もマナーを守り、けして私的な場ではないことを認識して行動すべきだろう。ただ、イベント会場以外の場において、参加者が何をしていようとも、それはあくまでその当事者の責任で行われていることであり、イベントそのものや運営側は無関係だ。例えば、会場近くの公園で、閉会後、いつまでもたむろして騒いでいたとしても、それはイベントとは無関係なことであり、警察はあくまでもただの不審者として取り扱うべきである、ということである。
 コミックマーケットで言えば前夜から徹夜している人間が大量にいることがコレに該当するのだが、警察はコミケ準備会に再三に渡り警告しているようだ。しかしコレは客観的には筋違いだ。徹夜をしている人々は勝手に集まっているのであり、治安上の理由で彼らを警戒するのであれば、それは不審者としてであって、コミケ参加者としてではないはずだ。(※コミケ準備会は徹夜を禁止しているが、特に直接対策をしているわけでもない。もしかすると公に対策に乗り出すと、実質的に“参加者”が徹夜をして地域に迷惑をかけていると認めることになるからかもしれない)


 報道などでも、なにか事件が起こると必ずと言ってよいほど(事件内容と無関係であっても)当事者の名前の前に所属(職業など)が記されている。おそらく集団主義的な発想なのだろうが、こういった“誰もが何らかの組織・団体に属しているものだ”という考えが、物事を分けて考えることをできなくしているような気がする。ニートや引きこもりを社会に無理矢理に引っ張り出そうとするのも、同じ思想からではあるまいか。