風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その188+365+347)

『期待にはほどほどに答えるのがよい。何事も過剰さはのちの歪みを生む』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 あ、やっぱり『だんご大家族』なワケね。あと“広辞書”ってセンスは好きだ。(挨拶)


 昨晩遅くに雨が降り出したが、目を覚ましたときにはすでに止んでいた。おかげで朝は清涼な空気。ずっとこんなならいいのに、と思うが、しかしここは東京砂漠。排気ガスという名の砂塵が吹き荒れる地である(昔ほどではないけど)。
 TBSで『CLANNAD』が始まった。BS-iで放送された『AIR』の好評ぶりを受けてか、深夜とはいえ、今回は地上波放送である。
 昔ながらのコテコテ手法ではあるが、渚に声をかけた瞬間からセピア調の世界から脱するというのはニヤリとさせられた。そもそも原作を手がけているKeyがある種、古臭い雰囲気を持った作品世界を構築しているのだから、そういった手法がマッチするのも必然なのかもしれない。ビー部の春原虐待シーンの展開や、朋也の春原いじめもおきまりパターンだし、多分、最後まで期待を裏切ることなくこんな感じだろう。日曜に最終回を迎えた『グレンラガン』が予想を絶した作品ならば、『CLANNAD』は始めから期待が高く、その期待に適度に答える作品だと思う、というか信じている。(※ビー部/ラグビー部のこと。体育会系の人間間ではこういった呼び方が一般的である)


 ところであの“客観的視点”シーンは、春原のヤラセ疑惑行動に説得力を持たせるために、あえて傍目にあっさり決着した感じにみせたのだろうか? …そんなことをしなくても春原が突っかかって行くことになんの疑問もないのだが…。だって春原だし。