風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その176+365+347)

『見かけ上の若さを保ちたい? 命を差し出すしかないんじゃないかな』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 人生倍速!(挨拶)


 最重に煙る空。大気は冷え渡り、肌を伝いて痺れを謳う。斑な雨に猿が踊った。――――こんなキャッチーな天気概況があってもよいと思う。意味分からんけど。
 様々な健康法や食品、薬品、サプリメントなどが雑多に氾濫しているが、無理に若さを保とうとする行為は寿命を縮めることに他ならない。青年期を過ぎると肌の張りやキメ細やかさが失われるのは、代謝速度が落ち、古い細胞が長期間残留するからだ。これを防ごうとするならば、代謝速度を青年並に向上させるしかないわけだが、当然、その行為の結果として寿命を縮めることになる。何故なら細胞の分裂回数は有限だからだ。
 推測するに、仮にいつまでも高い代謝速度のまま生き続ければ、ある時点で急速に老け込み、床に伏し、遠からず死を迎えることになるだろう。不老不死という言葉があるが、本来、不老と不死は相反する現象なのだ。これを拒絶しようとすることは大いなる矛盾を生じさせる。人間に限らず、生物は活動を停滞させることによって命を永らえているのである。


 見かけを気にするなら、化粧品を用いるのが体に一番優しいと思われる。しかしまあ、個人的意見を言うならば、それほど寿命の長さに拘るのも変だとは思うが。