『代価とは常にそれを払う相手に依存する。自身の価値感において支払われるソレはすでに代価ではない』
※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。
……………………いじめる?(挨拶)
曇り、深夜に雨。残暑は影を潜め、涼しい一日。掃除したり、自分で自分の髪切ったりするには最適な日だった。……どんな日だ、ソレ?
9/10に話したことの補足、というか一例になるが、要するに交換レートが両者にとって本質的に平等ならば、それは双方にとって得にも損にもならない、ということ。よくある話で、悪魔との契約において、願いは叶えるがその代わりキミにとって何よりも大切なものを頂戴する、というのはその契約内容からして成り立たない取引だ。代価を払う取引において自身の価値観が用いられるべきは、常に相手の価値観における“要求”を呑めるかどうかの判定だ。代価そのものを己の価値観で決め、仮に取引が成立したとしても、それは取引ではなく略奪に近い。
ところで悪魔との契約の話で、叶えてもらう願いが他の何よりも優先される事項であれば成立するのでは?、と思った人は、きっと悲劇と喜劇を足して2で割った物語の主人公に相応しい、ステキな人物であろう。