風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その170+365+347)

『所詮、自分を満足させられるのは自分だけだ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 待ち伏せでーす♪(挨拶)


 朝から日差しが照りつけ、更なる真夏ぶりを展開。日中、室内でPCをフル稼働させていたので、昼過ぎから夕方までエアコンを使用した。要するにでんこさんの言うところの、最も電力消費量が大きい時間帯に全開で使用したことになる。ダメだ、こりゃ。
 本当は明日の初回上映で観ようと思っていた劇場版『CLANNAD』を、なんとなく今日の最終回で観てきた。時間帯が時間帯なので、劇場版『AIR』の評判から予想されるとおり、と言ってよいかは微妙だが、あまり観客の入りは良くなかった。だいたい4割くらいか。
 個人的には作品としての質よりも、CLANNAD全編をどのように構成するのかを観に行ったようなものなので、さほど気にはならなかったが、あえて観想を言うなら、広げた風呂敷を強引に乱雑に畳んだ作品、といった感じだろうか。『千と千尋の神隠し』と似た印象を受けた(誉めているのではない)。
 ただ救いがあるとすれば、サブキャラ、特に春原が狂言回しとして上手く機能していたことだろう。多分、悲劇要素を含む→主人公≠コメディキャラ、という図式が用いられている(劇場版『AIR』もそうだった)のだろうが、その中で春原という存在は便利なキャラクターであったことだろう。


 まあ漫画でも小説でもそうだが、原作と他メディアへ展開した作品とは、別の作品だと捉えた方が良い。原作どおりの映像化(動画化)を望むなら、原作を観賞しながら脳内変換するのが一番効率的で理想的だ。