風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その169+365+347)

『人間は意識の生き物だ。自覚ないところに意志は存在できない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 やめてやめて、手榴弾やめて!(挨拶@フランス人幼女。学校に手榴弾持ち込む


 台風11号日本海で停滞中のため、終日、強風に見舞われた。また12号も明日には沖縄に接近する。前線は東北地方に停滞中のため関東圏は快晴。日中はやや暑苦しいのは昨日と変わらず。
 体調は午前中まではやや不調だったが、正午を過ぎた辺りからは平常モードに。とりあえず一安心。
 この歳になると、徐々に自覚するのが純粋な体力の衰えなのだが、それ以上に、衰えたな、と感じるのは思考のキレだ。瞬発力と言い換えてもよい。思考力そのものが大きく衰えたとは思わないが、瞬間的な発想力や思考の飛躍は自覚できるほどに減衰しているように思う。例えるならば、高くは跳べるが、瞬時に遠くへは跳べなくなってきた、という感じか。
 こういった話を年配の方にすると、何を言ってるんだ、まだ若いじゃないか、という返事をいただくのだが、しかしこういったことを若いうちから自覚せず、危機感も持たない人間が、年老いてから“使えない”扱いされるような人間に成り果てるのではないかと考える。自身を把握し、衰えを自覚するからこそ、それを堰き止める意志が生まれるのだ。


 別にただ漫然と日々を生きることを否定はしない。ただそういった人間が、価値あるモノを生み出せる人間の足を引っ張っているのも事実だ。せめて邪魔にはならない程度の能力を維持して欲しい、というのが支配者の考えであることは間違いないだろう(さて、何の話でしょう?)。