風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その155+365+347)

『研究とは必ずしも何かの役に立つためにあるわけではない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 ヤフオクで『ロンギヌスの槍』の入札金額が\10、000、000、000になってる…。まあすぐ消されるだろうけど。(挨拶)


 またしても曇り。昨日ほどは涼しげではないものの、それでも汗ばむようなことはない。現在、台風9号が太平洋上にあり、ゆっくりと西進しているが、天気図から言って本州方面への進行は避けられそうもない。5日以降は警戒が必要と思われる。
 なにやらロシアが発表した宇宙開発計画で、2025年までに月へ有人宇宙飛行し、28年以降に月面基地の建設を行うとしている。その後も35年以降には火星への有人探査を行うとか…。記事はコチラ
 多分、“予定は未定”レベルでの発表だと思うのだが、本気でそんなことをする気なのなら、何のためにやるか、まったく理解できない。月や外惑星の資源開発のためではないか、と思う人もいるだろうが、たとえ鉱脈を発見しその開発に成功したとしても、現在の技術力ではそれを地球に大量に運搬する手段がない(数十年後もそんな技術は実用化されていないだろう)。無理にそんなことをしても費用がかかるばかりで、とても採算が合わないのだ。
 またそれら資源を用いて他惑星・衛星上に基地を作っても、やはり有用性に乏しい。昔のSFのように、人間が月面で生活することなどまずありえない(その必要性がない)し、他惑星に入植というもの考えづらい。少なくとも、あと300年はそんなことは実行されないだろう(個人的な観測では500年はないと思う)。


 結局、現在の宇宙開発は、開発とは名ばかりのものである。一部の分野(地学とか)にとっては話が別だが、実質的に一番影響があるのは国家間のメンツ争いだろう。