風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その151+365+347)

『誰もが、平和になればいい、と思っているかといえば、そうでもない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 エコバックの理念は至極正しい。(挨拶)


 昨夜の雨は上がったが、雲は晴れず終日、曇り。気温も上がらず、涼しい一日だった。
 休日だったので、昨晩から読み終わった本(コミケ買いの同人誌含む)の整理を兼ねて部屋の掃除を決行。予想以上に雑誌やら冊子やらダンボールやらの紙ゴミがあり、まとめるのに一苦労。しかしゴミの分別は守るのは都会人の最重要モラルのひとつだと思うので、紙はちゃんと資源ゴミで出すことにする。
 掃除をするたびに思うのだが、週刊雑誌はそろそろネット配信でもよいのではないか。特に写真週刊誌や漫画雑誌などは文字も少なく、モニタ上で見ても、さして苦痛でないだろう。
 もちろん印刷所や販売店との兼ね合いで実現が難しいのは解っているが、しかしすでに他で代用できる資源を無闇に使用することは、無駄遣いであると非難されても仕方ないだろう。それでも止めないのは、やはり環境など未来のことよりも、今の利益こそが優先だと“社会全体が”考えているからだろう。


 現在、環境問題を考える上で真っ先に提案されることは、“節約”ではなく“再生利用”だ。徐々に変わりつつあるが、まだまだ生産を続けて物を氾濫させる風潮は続いている。そして生産をするということは資源を使用し続けるということであり、それは資源を奪い合うことと同義だ。そういったことをしている限り、争いは止まないだろう。