風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その148+365+347)

『怖いのは本能。気味が悪いのは生理』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 実際に、ひひひ…、って持続的に笑うのって難しくない?(挨拶)


 今日も晴れて、それなりに暑くなったが、口に出して言うほどでもない(あくまで風鈴製作者の感覚ではだが)。夕方を過ぎると不快感は減少し、夜には寝苦しいということもなかった。
 この間のコミケで頒布された同人ゲームで『アパシー 学校であった怖い話〜ヴィジュアル・ノベル・バージョン〜』というものがある。なんとなく手に入れていたので、やってみたのだが――――正直、微妙。
 詳しい内容は伏せるが、端的に言ってしまうと“怖い話”というよりも“気味が悪い話”あるいは“気持ちが悪い話”といった印象を受けた。
 この両者は、似ているようでまったく違う感情だ。怖い、という感情は、文字通り恐怖を感じるということであり、本能に根ざした感情だ。危険な場所・現象に対して回避を促すための防衛反応なのである。対して、気味が悪い(あるいは、気持ち悪い)という感情は、非常に理性的な感情だ。それはその人物の経験や記憶に照らし合わせ、それよって構築された常識から大きく外れたモノに対して感じるものなのである。


 本作は物語の内容そのものよりも、登場人物の性格の異常さ、奇抜さの方が目についた。まあ確かに危険人物も多いので、ある種の恐怖は感じるかもしれないが、やはりそれよりは気味が悪いという印象が強い作品だ(純粋な恐怖話は一話目だけではなかろうか)。