風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その142+365+347)

『拘って囚われて。そしていつしか誰もいなくなった』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 大河ドラマの“風林火山”と聞くと、どうしても三原山の噴火が…。(挨拶)


 昨日一昨日と涼しかった(といっても昨日は真夏日だが)と思っていたら、再びぶり返すヒートサマー2007。夕方頃に北方に積乱雲が見え、ほどなく遠雷が聞こえた。夕立だったのだろう。
 何やら相撲界では横綱朝青龍のことが問題になっているらしい。人の話を聞く限りでは、巡業を怪我で休むと言って帰国→怪我のはずなのにサッカーをしていた→2場所休場処分(+減棒)→記者会見も開かずヒキコモリ→医師の診断では急性乖離障害。帰国を希望するも親方(相撲界?)はそれを認めない、…という感じらしい。
 何というか、閉鎖的で面子ばかり気にするあの世界らしい出来事だな、というのが正直な感想で、まあ完全実力主義の傾向にあるモンゴル人にしてみれば、軟禁に等しい謹慎状態などイジメ以外には見えないだろうと思われる(日本そのものに悪感情を持たないことを祈るばかりだ)。
 そもそも謹慎とは一定期間、登校・出勤などを禁じ、自己反省する期間のことを指す。それをするのに日本にいなければいけない理由はない。モンゴルに帰国したらまた勝手気ままなことをするに違いない、と思うのなら信用のできるお目付け役でも同行させればよいだけだし、おかしなことをしたらしたで今後の処遇に反映させればいいだけだ。何をそんなにムキになっているのか、想像はできるが、理解はサッパリできない。自ら世間に醜聞を垂れ流しているだけではあるまいか。


 確かに相撲界というのは通常の社会とはまったく異なる世界だ。しかしそこで生きていくにしても、一般社会に関わらずにはいられないし、完全に閉じた世界ではいられない。いつまでも何かに囚われていてもいいことは何一つ無いだろう。