風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その132+365+347)

『知っていることを口に出さないことほど苦しいことはない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 ふっ、ふっ…筋肉、筋肉っ ふっ…ふっ…筋肉がうなる!うなりを上げる! おおっ、すげぇうなりだ! ふっ、ふっ… やべぇっ、あまりのうなりにオレ自身がついていけねぇっ うおおっ、筋肉が暴走だ!暴徒と化した! こいつは… 筋肉革命だあぁぁぁーーーーっ!!(挨拶)


 今日も快晴で、東京は昨日よりもさらに暑くなり、猛暑日を記録した。しかしそんな中、風鈴製作者は秋葉原に出向き、買い物。漫画3冊、小説3冊、雑誌1冊、画集1冊を購入(だからいつ読むんだよ!)。
 というわけでリトルバスターズ終了(久々に分からない人、置いてきぼり)。
 なんというか、どこかで見たような王道キャラクター大集合!、みたいな登場人物群だが、全体のバランスやゲームそのものの作りこみ度はさすがと言うべきか。…というか、作りこみ過ぎ。筋肉ENDとかシカとか気付かんだろ、普通。
 作品作りにおいて、しっかりとした骨子がないと、詰め込めば詰め込むほどに(あらゆる意味で)破綻していくものだ。いわゆる“蛇足”というもので、それが増えれば増えるほどに歪となっていく。
 長編作品の難しさとはこの辺りで、クライマックスや結末が素晴らしくとも、そういった筋が通っていないものは、やはり違和感を感じさせてしまう。面白い発想をしたからといって、それを基準に物語を作れば、それは作品ではなく、シーンの羅列になってしまうのだ。


 リトルバスターズに関しては、少々、露骨な伏線が目立ったが、ラストシーンに感情移入させるには、充分な“流れ”がある。作品の雰囲気に若干の古臭さは感じるものの、こういう作品があり続けることは、様々な面で有益だろう。