風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その130+365+347)

『休暇を何を充てるかは当人の自由だが、休息に全てを費やすのは健全とはいえないだろう』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 単なる数え間違いだよっ、ごめんなさいでしたあぁぁぁーーっ!(挨拶)


 午前中は少し曇っていて、さほど暑くなかったのだが、14時くらいから雲が切れ晴天に。風がやや強く、大人しくしている分には、心地よい天気だった。
 今日から何気なく3連休。しかしけしてお盆休みではない。それは17〜19日にとる予定(休み過ぎとの意見あり)。
 せっかくなので積みゲーと積み本を消化しようかと思っているのだが、すでに3日間全てを費やそうとも消化しきれないことが確実なので、取りあえず積みゲーから取り掛かった。理由は、ゲームは長らく放置してしまうと、やる気になるまでに時間がかかるため(実際、それで半年以上放置状態のゲームが2つある)。
 しかし追い立てられるように、急いでやろうとはまったく思っていない。そもそもそうなってしまっては趣味の意義に反すると思うし、何よりも楽しくあるまい。
 かといって、のろのろと引き伸ばしつつ取り掛かるわけではなく、やり始めれば自動的に没頭し、通常では信じがたい集中力を見せる(らしい)。結果としてそれなりのスピードで片付いていくのだが、特に風鈴製作者的には急いでいるわけではない。…どこか、慌てず迅速に、という避難時の鉄則のような状態になるのだが、趣味というものは、そうなることが楽しさのひとつわけで、それがいつまでも途切れることなく続けることができるという意味で、常時、何かを積んでおけるのは幸せなことだな、と考える。


 大抵、深夜遅くまでそういった何かをしているのだが、それに関してたまに、疲れないのか?、と聞かれることがある。もちろん疲労はするが、そういった代価以上の価値があると思うので別に苦ではない。多分、そういう楽しみがないから、そういうおかしなことを聞くのだろう。