風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その128+365+347)

『熱狂的ファンには、一時的な演出など意味が無い』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 そういえばマギシステムって実在するんですって?(挨拶)


 今日も晴れて、朝から暑い(そんな中、遅刻しかかったものだから、さらに暑い)。しかし夜は微妙に雲って、少し風が吹いた。わずかでも涼しく感じる要素があることは行幸
 ここ数年、過去の漫画・アニメを題材にしたパチンコやパチスロが乱造されている。ビジュアル的な演出を広げ、一種のゲームとして新たな顧客を開拓しようという試みなのだろうが、個人的にはアレはゲーム足りえないと考えている。所詮、あれは確率に支配されたものだからだ。
 確かにパチンコならば釘の配置や台の傾き、スロットあらばボーナスまでの回転数を予めリサーチしておくなど、一定の工夫が入る余地はあるが、やはり結果が実力で左右されないことには違いない。風鈴製作者はそういう物は“ゲーム”ではないと思う。


 しかし商売的にはキャラ物は概ね成功のようだ。知り合いが言うには、観ていて面白い、とのこと。…原作を読む(観る)のでは駄目なのだろうか? 本当にその作品のファンなら、わざわざパチンコやスロットで観ようとは思わないと思う(例:ツインビーまでパチスロ化するようだ。でも『合言葉はBee!』が通じるような人はスロットに没頭するとは思えない)