風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その89+365+347)

『互いを理解していても、仲が良くなるわけではない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 まーわるーまーわるーよドラムは回る〜♪(挨拶@いや、スロットとかやらないけど)


 曇りであまり変化のない、ある意味、穏やかな一日。世間的に穏やかな天気というのは晴れのことを言うのだろうけど、しかし言葉の意味としては温度変化がフラットな天気のことではあるまいか(どうでもいい)。
 互いを深く理解し、解りあっていようとも、必ずしも仲良くできるわけではない。どんなに理解しあっていようとも主義主張が違えば相反するし、単純に利害関係が背反すれば争うことにもなるだろう。ひとつ例を挙げると、『DEATH NOTE』におけるLと夜神月がそれにあたる。彼らはかなり深いところまで互いのことを理解していただろう。だからこそ相手がどのように考え、どういう手を打ってくるか想定できていたのだ。しかしあの二人はけして仲は良くない。別に嫌いというわけではなかっただろうが、主義と利害関係から互いを排除するしかなかったのだ。


 もちろん現実には、彼らほどハッキリと相反する場面は少ない。どこかで利害が一致し、他方で何かを取り合うような場合がほとんどだ。しかしそういう場合でも大抵は争いになり、互いを嫌うこともしばしばだ。何故そのようなことになるのだろう――――その辺はまた明日(久々に続きモノ)。