風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その88+365+347)

『近づけば大きくなると思いがちだが、しかしそうではない場合が多い』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 そう、よかったわね。(挨拶)


 晴れて、それなりに暑くなった。それなりに、というのは日々の相対性に基づくもので、風鈴製作者の感想ではない(個人的意見などすでに散々書いている)。
 物体に接近すれば大きく見えるようになる。これは当然のことのようではあるが、実はそうでもない。例えどのような大きさであろうとも、接近し、認識できる限り、その対象は測ることができてしまい、同時にそれは、この程度、という理解へと至ることとなる。そうなってしまえば、大きい、という事実は単なる比較認識となってしまい、巨大だぁ!、という感情ではなくなる。


 これは人間の内面性にも言える。どんな立場の人間でも、その人間性を理解すれば大抵は、この程度か、と認識するようになるだろう。一般に親しみとはこの辺りから生まれてくる感情ではないかと風鈴製作者は考える。(たまーに巨大すぎて測れない場合もあるけど)