風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その86+365+347)

『義理や人情とは判断を鈍らせ、妥当性を見失う一因である』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 あなたが落としたのはこの綺麗なジャイアンですか?それとも小汚いジャイアンですか?(挨拶)


 朝から曇りで、一ヵ月半くらいは逆戻りしたくらいに涼しい。時折、小雨が混じり、夜になってから一時的に本降りとなった。
 昨今流行の(こんなこと流行るなよ…)年金問題だが、安倍首相が夏の賞与を国庫に一部返納するらしい。また同様に社会保険庁は職員に自主返納を促していくとか。要するに“けじめ”がどうのという話だ。
 何か問題が起こると、さも当たり前のようにこういう話が持ち上がるのだが、風鈴製作者的にはこれがなんのけじめになるのか理解に苦しむ。こんなことをしたところで何の解決にもならないし、その助けにもなりはしないだろう。単に返納した人が嫌な思いをするだけで、実際に被害を受けている人が救済されるわけではない。
 反省を示すために頭を下げたり、丸めたりするのはよくあることだが、それらは本質的に問題を解決に導く行為ではない(何の価値も生み出していない)。ただ、そうやって自分たちを貶める行為をすることによって、一種の同情を得ようとしているだろう。その目的は時間稼ぎなども含めいろいろだ。


 別にそういった行為に同情的になってはいけない、と言っているわけではない。ただ、それはそれとして置いておき、本来の問題の解決を忘れてはならないということだ。