風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その85+365+347)

『最も穏やかな死に至るコツは何も残さないことだ。だがそれが何より難しい』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 勇気を示せ!(挨拶) 


 朝は晴れていたが、夕方前から雨。しかしそれほど強くはなく、まあこのくらいなら濡れるのも一興、とか思える程度。湿度は高かったが、気温はあまり上がらず、夜は涼しいくらいだった。
 現在、人はいろいろなものを後世に残そうとする傾向にある。土地や金銭的財産であったり、思想であったり、時には歴史そのものに名を残そうとする。多分、これは絵や文字が発明され、“存在”というものが記録として残る可能性を意識したことに端を発する行動だろう。それは活版印刷やデータの電子化技術の確立というプロセスや、豊かになったことに伴う個人主義の台頭によりピークに達している(もうピークは過ぎた感もあるが)。
 しかし人間の憂いとは、すでに自然相手のものではなく、同じ人間との関わりを最大の原因としている。存在を知らしめよう、残そうとする行為は、結局、他者との関わりを大きくしようという欲望に似ている。そうして各種メディアによる伝聞的な情報によってそれを認識するのである。
 だがそれはとても不確実で不透明な認識だ。どこまでいっても確信には至らないだろう。自らが最期を迎えるとき、そんなものは足枷にしかならないだろう。到底、穏やかではいられまい。


 しかしそれでも何かを残そうとするのは、すでに現代人の習性であろう。孤独であることを忌避するべきものだと考えている限り、それは止まらない。何も残さない、とはある意味でとても勇気のいることなのだろう。