風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その84+365+347)

『借りる、ということは、返すことが前提なのだろう』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 消耗品だろうと“借りる”なんだよなぁ。(挨拶)


 晴れ。やや薄曇りではあったが、陽が照りつけ暑かった。日没後は速やかに冷却された。
 ○○を借りる、という表現はかなり多岐に渡る。物品を借りる、手を借りる、顔を借りる(一緒に行くの意)、そして権力・威光なども借りると表現する(虎の威を借る狐)。
 思うにこれはこの国の民族的思想として集団主義に根ざしたものだろう。事前にわざわざ“借りる”と表現するということは、いつかはそれを“返す”ということだ。物品(消耗品除く)以外を“借りる”場合、それに応じた労力などを返すという、持ちつ持たれつという感覚がここにあると思われる。いわゆる、“貸し”とか“借り”とかいう概念である。
 少なくとも英語の“rent”や“borrow”にはそういう意味はない。消耗品を求める場合は“give”である。“debt”が“借り”という意味を持つが、これは恩義という意味合いが強く、恩を感じている方が下位にあるようなニュアンスだ。日本語における貸し借りは対等な立場における概念だろう。


 この点に関しては、やはりこの国の人間は集団主義的な気質が強いと言えるだろう。やはり島国であることから、限られた財の中で助け合うという考えが根強かったのだろう。まあ、今後、どうなるかは微妙だが…。