風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その76+365+347)

『不可解なお題目は時に不審を呼ぶ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 跪け、命乞いをしろ、小僧から石を取り戻せ!(挨拶@もうホンットにムスカさんは小物だなぁ…)


 朝は曇っていたが、昼間は快晴。夕方になりやや風が強まったが、それでも晴れ。暑苦しく、東京は今年初の真夏日になったらしい。
 近所の総合雑貨店が一旦閉店し、建物ごと改装して(それはもう改装ではなく改築なのだが、その店がそういう掲示を出しているのだ)リニューアルするとかで、現在、懸命に在庫処分セールを行っている。昨日、行ったらやや高額なもの(数千円以上)や、あまり売れていないもの(風鈴製作者の判断)はもう50%引きになっていた。
 今、在庫処分と書いたが、“処分”とは言っても実際は販売しているわけで、返品、あるいは廃棄しているのではない。同様の場面で使用される言葉では在庫整理というのがあるが、“整理”とは ①所持品を確認し順序良く収納すること ②不必要なものを処分すること であるが、前者では明らかにニュアンスが違ってしまうし(これは“棚卸し”に相当する意味だろう)、もちろん後者は前述した通りである。
 そもそも処分も整理も、店側の立場における言葉だ。そんなのは客にとっては知ったことではないはずなのだが、どうしてこんな言葉が頻繁に用いられるようになったのだろう? どうにも少し押し付けがましく感じるのは風鈴製作者だけだろうか? 処分(整理)=安くなる、という図式は既に周知なので、現状で特に不具合はないだろうが、やはり不自然ではあると思う。


 勢いで思いついたことを書いているだけなので、別に本気でそう思っているわけではないが、想像するに、急に安くすると返って不審がられるかもしれない、という判断からかもしれない。しかしそんなことを心配しなければならないということは、元々、客からの信用がないということかもしれない(かもしれない三段活用)。