風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その71+365+347)

『美しさとは不自然なものにこそ宿る』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 でも銀のエンゼルは結構当たるんだ。(挨拶@1/20くらいの確率?)


 朝からパラパラと小雨が降ったかと思えば、突如、豪雨になったり、晴れ間が覗いたりと、忙しく不安定な天気。
 以前に似たようなことを書いたが、まず芸術がそういうものだ。絵画であろうと、彫刻であろうと、人の手で作り出され、脚色・演出が含まれている。しかしその意図こそを人は美しいと感じるのだ。
 これは目に見えないものも同様だ。俗にいう“誇り”や“清廉潔白”などは明らかに自然ではない。人間は欲深く、他を欺き、何かを奪い、肥大しようとする生き物だ。そういった行為は一般に悪とされるが、しかし一生物の取る行動としては至極自然である(程度の問題もあるけど)。しかし“誇り”や“清廉潔白”といった概念はこういったことと相反する。つまり不自然なのであるが、だがそれこそを多くの人間は美しいと感じるものだ。


 では大自然(自然環境)を見て美しいと感じるのはどうか? 断言するが、それはまったくの錯覚か、あるいは何か別種の感覚を美しいと取り違えているだけだ。人の手が入っていない密林に足を踏み入れてみるとよい。きっと、恐ろしい、という感想しか抱かないだろう。