風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その69+365+347)

『“科学的”というのは即ち記録を参照することであり、“論理的”であるということは即ち事実に即した思考を指す』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 (有)フリーザ不動産。失敗したら首が飛ぶ。(挨拶)


 昨晩、深夜に突如豪雨となった。朝には止んだが、そのせいで湿度が高め。
 科学というものは先人が生み出し、算出した定理を積み上げ、体系化したものに他ならない。故に必ずしも事実ではない。しかしそれは、科学が間違っている、ということではなく、未だ解明されていないこと、発見されていないこと、あるいは観測が不十分であるが故に誤った結論を導き出しているだけだ。


 あくまで科学とは“人の理”でしかない。“世界の理”とは異なるものである。論理とはそれに新たなものを加え、また過ちを修正するものだ。故に常に世界に肉薄し、事実に近い立ち位置を保つ。