風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その68+365+347)

『何も考えていなければ平穏でいられるのかといえばそんなこともなく、では深く思考するほどに混乱するのかといえば、やはりそんなこともないだろう』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 動きが速くなる=強くなる、ではない。(挨拶)


 朝は空一面の雲。次第に晴れ間が覗いたようだが、さほどいい天気とは言えない。北関東では一時的に記録的な豪雨になったようで、宇都宮では1時間に100?の大雨に見舞われたとか。少し湿度が高めなのか、夜になっても少し空気がベトつく感じ。しかし風があるので寝苦しくはなさそう。
 よくファンタジー物の物語で、なんの変哲もない普通の少年少女(あるいは青年)が異世界に誘われ、冒険したり厄介ごとに巻き込まれたりするのがあるが、そのほとんどの場合において、当初、主人公は激しく動揺・混乱するか、もしくはそこそこ平静であってもそれを理由付ける性格設定などが早々に登場する。
 こういった傾向は一種のお約束のようなものなのだが、つまり、人間は見も知らぬ世界で常識から外れた光景を目にすると恐慌に陥るのが当たり前、ということを語っているのだろう。
 しかし実際にそういう状況になって、それほど動揺するものだろうか?
 ああいう物語は、明らかに主人公の生きてきた世界とは生活様式も文化も何もかもが違うというのに、何故か言葉だけは始めから通じる(例外もあるが)。人間、コミュニケーションが普段通りに取れる状況で、それほど慌てるとは思えないのだが…。


 いや、今、『ゼロの使い魔』を読んだのであるが、作中に、先ほどは飛ぶ人間を見て大騒ぎをしたが、普通の人間なら腰を抜かすところをあの程度で済ませたのは、そのような性格によるところが大きい。悪く言えばあまり物事を深く考えない性質である。という一文がある。…こういう場合、普段深く物を考えないタイプの方が混乱すると思うのだが…。


ゼロの使い魔 (MF文庫J)

ゼロの使い魔 (MF文庫J)