風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その65+365+347)

『記憶など、当人が優先するものほど鮮明になるのが当然だ。つまり自分に影響を及ぼさない他人を忘却するのは必然であろう』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 アキラちゃんって素直クールに属するのかな?(挨拶@P2!


 午前中はやや曇っていたが、昼過ぎくらいから晴れた。気温は、急いで歩いていると少し汗ばむくらい。明るい色の服を着ていれば、まったく暑くない日だっただろう(風鈴製作者は夏だろうと黒を愛用)。
 こんな記事を見つけた。
 基本的に優先度の低い記憶は思い出しづらいのは当然のことだと思うので、さして目新しい内容でもないが、比較対象群(MOVIEとその関連単語)を用意し、記憶優先度の変化を示したのは面白い。
 例えば学校で同じクラスの人間たちをA群とする(この際、特別仲の良い友達はいないとする)。また通っている塾でクラスの同じ人間たちをB群とし、その中でとても親しくしている友人をB’、それ以外をB''としよう。数十年後、AとBの人々を思い出そうとすると、当然B'がまず思い出され、次にA、最後にB''になるだろう。これはやはりB群の中でもB'の重要度が高く、B''とはほとんど関わらなかったからであり、また、A群の人々は親密とまでは言わずとも、それなりに親交があったからだ、と想像できる。
 もちろん人間関係はそれほどに単純ではないし、何かひとつでも印象の強い出来事があれば記憶に残るものだが、まあそれなりにこの図式は間違っていないのではないかと思う。


 もっとも風鈴製作者はそれほどかつての同級生を覚えていない(酷いヤツである)。それよりも学校のどこにどんな部屋・施設があったかとか、あるいは事件的な出来事(朝礼中、カラスが上空から糞を撒き散らしたとか)の方がより印象強い。前者は能動的に動き回っていたからであり、後者は、こういうこともある、という自己防衛に対する意識が働いたからだと分析している。