風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その60+365+347)

『人にモノを教える場合、十まで類推するのに必要なだけおしえればよいのだが…』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 天丼、カツ丼、親子ドンッ!(挨拶)


 朝はそこそこ晴れていたが、夕方前からは雨。しかしそれも夜半前には止んだ。気温はあまり上がらなかったが、湿度が高いのか、昨日ほど涼しくはない。
 他人に何かを伝達するにはいくつか方法があるが、まあ一番メジャーなのは言葉で伝えることだ。
 多くの人は、言葉の意味は統一されており、万人共通で伝わるものだ、という前提で会話している。だからこそコミュニケーションにおいて最重要なツールとして扱われるのだろう。…もちろんそうではないのだが。
 風鈴製作者としては、言葉など伝えようとしていることの3割も伝われば御の字だと思っている。だから何かを伝える場合はなるべく詳細に伝えるようにはしているが、会話内容の前提となる知識に齟齬、あるいは過ちがあると、全体の1割も通じなくなる。だから相手の知識レベルなども考慮するのが望ましい。しかし相手もあまりキチンと説明されることに抵抗を感じるらしく、途中から聞き流していることも多い。こういった人間ほど、後になって同じことを再度聞いてくるのだが、やはり会話の内容を取り違えていることが圧倒的だ。その辺を気にすると少しだけ(本当に少しだけ)こちらの意図が通じるようになる。もっとも、その取り違えを認めない人間もいるのだが。勝手にすれば?


 以前、そういった話をした上司が、もっとキミが成長すれば上手くできるよ、と言っていた。なるほど、確かにこちらの成長も大事だろう。しかしそういう話をしているのではないことは明らかなのだが、さてはて、上司は話を聞いていないのか、話を理解しようとしていないのか、それとも理解すらできないので無難な返事をしているのか、いったいどれでしょう?