風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その51+365+347)

『変わって、替わって、代わって、それでも残るものはあるかと聞かれれば、あるかもしれないと答えよう。しかしそれもいつかは消えることに変わりはない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 この新連載、ジョジョ臭が漂うんですけど……って、あ、弟子なんだ。(挨拶@瞳のカトブレパス


 概ね昨日と同じ。上着なしでも問題ないのだが、朝、出かけるときにはなんとなく一枚羽織って家を出ている。何故だろう?我ながら不思議な行動だ。
 この世に永遠に続くものはない。有機・無機を問わず、万物全てがいつかは消えるものだ。そんなことは自明のことだし、通常の感覚を持っている人間なら誰しも理解していることだろう。
 しかしそういう人でも“変化”というものに対しては、過剰な反発を抱くことが多い。時間の流れに伴う状況・人の価値観・観念・あるいは世界そのものの変化などがそれに当たる。冷静に判断するならば、“変化”とは“消滅”への過程に過ぎず、けして押し止めることのできるものではない。だが、同時にそれは消滅への道程途中にある緩衝材のようなものだ。これが存在しなければ、物事は一瞬にして消えて無くなることになる。変化があるから、むしろその存在を永らえることができるのである。


 それを拒絶することは、確実に消滅への道を早める。これはあらゆる物事・現象・概念に当てはまる。人も、人が生み出したものも、いつまでも同じものではいられないし、いてはならない。それはその場に留まっているのではなく、死へ向かって進んでいることに他ならない。