『異常な行動をした人が、必ずしも異常な人生を歩んでいるわけではない』
※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。
晴れのち曇り。朝からずっと晴れていたのだが、夕方には空は雲に覆われた。気温はまあそこそこ(何が?)。半袖シャツ一枚でもいいし、その上に何か羽織っても暑くはない程度。
会津若松の頭部切断事件について少しだけ。面倒なのでリンクは張らない。
切断した母親の頭部を持って自首した事に関しては、いくつかの可能性が考えられるが、そのうちのどれを選んだところで賛否は分かられるだろうから、ここでは書かない。
しかしひとつ確実に言えることは、相変わらずマスコミは過剰に装飾して報道しすぎだし、世間は世間で、その少年の動機、生活、あるいは人生そのものに異常性を見出そうとし過ぎに思われる。多分、異常である、と求めることによって、自分の世界から遠ざけようとしているのだろうが、まあ、それも全て幻想。そうできる、と思い込んでいるだけだ。
異常だ、異常だ、と騒ぎ立てるだけで猟奇的な犯罪を行う人間を遠ざけることができるなら苦労はない。それどころか、異常だと思い込むことは、理解の放棄にかなり近い。異常性を分析し理解することは、別に自分も異常となることと同義ではない。それに共感しない自己の強さがあればそれでいい。