風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その33+365+347)

『大衆文化となった時点で、その分野は粗製乱造を余儀なくされ、後に衰退する。残っていくものも、徐々に形を変えることだろう』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 ブックオ(以下略)。(挨拶)


 昨日に続き、改正。いや違った、快晴。そして暑い。世間はGW後半初日とかではしゃいでいるらしい。
 古本チェーンが隆盛を極めて以来、新刊本の売り上げは軒並み下がっている。これはチェーン展開している古本業者が販売から間もない本を、内容とは無関係に、高額(定価の半額かそれ以上)で買取り、すぐに中古販売しているからだという(と主に出版業界の人間は主張している)。
 それだけが原因だとはまったく思わないが、確かに相当の影響があるのには間違いないだろう。特に少年漫画コミックなどの、知名度の高いジャンルにとってはかなりの打撃だ(逆に言うとマイナージャンルにとっては、さして影響はないはずだ。もともと発行数が少ないのと、それを欲しがるファンがディープなため手放さず、古書流通する機会が少ない)。
 これを防ぐために新たに古書に関する規制を設けるとか、逆に現状の規制を排除して書店の自由競争を促進するとか、各所でいろいろと意見があるようだが、どれも根本的解決にはなっていない。というか、そのような方法など元々ひとつしかなく、それは書籍をデジタル化して販売することである。コピーガード技術の確立と著作権侵害の罰則を厳しくすれば容易に転換に踏み切れるはずだ。
 もちろん現状では製造業や印刷業、流通業への配慮から、そういったやり方はなかなか受け入れられない。この国は狭いため、広い米国のようにネットワークに頼らずとも、コンテンツを物体に載せて容易に流通させられるからだ。音楽のデータ配信が一部の層にしか普及しないのもそういった理由だろう。


 しかしいつまでも紙を大量に生産し、無駄に廃棄し続けられるような時代でもない。無駄が多いし、なにより製造することそのものが環境破壊でしかない。紙でページをめくって読む楽しさは理解できるが、それも時代の流れの中で廃れていくことだろう。なに、始めからデジタル書籍に慣れれば、特に不快なことはあるまい。