風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その31+365+347)

『何をもって流行というのか。そもそも誰もが行っているなら、それは流行でもなんでもない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 漫画はリリンの生み出した文化の極みだよ。(挨拶)


 朝から曇りがちで、10時前くらいには雨が降り出した。その後、夕方には止み、そのまま晴れるかと思いきや(思ってないけど)、日没後、再び雨となった。気温はまあそこそこ。なにが“そこそこ”なのかはよく分からない。
 同人即売会の後に秋葉原やネットオークションを覗いてみると、必ずプレミア価格で販売されている同人誌を見かける。俗に転売屋と呼ばれる人々(それ以外の人もいるだろうけど)が手に入れた本を売りさばき、若干の利益を得ているのである。
 別にそういった行為自体を非難するつもりはない。高額を払っても欲しがる人がいるのだ。そこには単に需要と供給と流通があるだけだ。しかし個人的に、おかしなことをしているな、と思うのは、本の内容の如何ではなく、作者他のネームバリューで高い値がつけられている場合だ。別に少ページのペラペラな本であろうとも、相応のコンテンツ(絵なり文なり)があれば金銭を出すのは分かる。しかし清書もしてない落書き同然の絵や、内容のない文章に高い代価を払うのは在り得ない。やはりそこは作家他の名前にお金を出していると考えるのが自然だろう(あるいは内容の情報をまったく得ていないのか)。


 転売されている同人誌を買っても、作家本人には一銭もいかないし、特に誰かに誇れるわけでもないだろう(あくまで風鈴製作者の考えだが、同人誌はコレクション的な要素が低いと思う)。本当に“同人”というものを好きで、楽しもうと思うのなら、内容を見る目を養った方がよいだろう。その方が自分のためでもあるし、当然、サークル側のためでもある。


追記
 あ、会場で一部\500だった本が\4,200で売られてる…。いや、某まっすぃ〜んだけどさ。