風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その25+365+347)

『どちらにしても争いごとの種は蒔かれるものだ。ならばさっさと蒔いて、早々に刈り取ってしまえばよい』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 昨晩からの雨が継続し、そのまま昼間はずっと雨。気温は少し低目か。夕方以降は徐々に小雨になり、20時くらいには上がった。
 場合にもよるのだが、人間間の諸問題は、そういう問題点を事前に指摘していようといまいとに関わらず、大小の争いとなって収束をみる。一見、先に指摘していれば問題が小さい内に片付くから何事もなく解決しそうだが、しかし指摘されることによって腹を立てる(よくてもへそを曲げる)人間がいるからである。
 しかしただプライドに触れて腹を立てるだけならマシなもので、最悪なのは、指摘をされてもそれを無視し、そのまま問題を先送りする場合だ。指摘された本人も、その指摘が的を射ていることに気付いているにも関わらず、無理矢理無視するものだから性質が悪い。
 そんなヤツいるのか?、と思う人は、もう少し周囲の人間を観察するか、あるいは自分がどこかで中心的存在になったときのことを思い出してみるといい。一度や二度は、そういった場面があるはずだ。


 すでに存在する問題を先送りにして、最終的に得をすることはまず無い。遺産相続なんか良い例である。お金のある人は生きている内(できれば健康な内)にさっさと配分を決めてしまうに限るし、配偶者や子は率先してそれを促すべきだろう。たとえそれで言い争いになろうとも、死後、泥沼の争いを何年もかけてするよりは被害が小さいはずだ。