風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その24+365+347)

『詰まるところ、理由などというものは他人を納得させ、安心させるものでしかない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 誰にやれと言われたわけでも、自分がやりたいと思ったわけでもございません。(挨拶)


 曇り。そのせいか、気温もさほど上がらず、ひんやり。夕方から霧雨となり、日没後、しばらくしてから本降りとなった。
 何か物事に着手した際、人はそこに理由を求めたがる。曰く、やれば何かが手に入るから。やれば心安らかになれるから。やれば何かを消すことができるから…。
 しかし実際のところ、それを実行する瞬間にそんなことを考えているだろうか。人間の行動とは、もっと純粋、…というより透明なものではなかろうか。少なくともその瞬間、理由などは存在しない。理由は誰かを納得させるだけのモノに過ぎない。自分に対する言い訳、という解釈も存在するが、しかしそんな後付けの動機など自分に言い聞かせたところで、到底、納得や安息が得られるわけはないのだ。


 あえて言うならば、理由を用意することで周囲を納得させ、それを観測することにより他者とのバランスを測る。理由などその程度のものだ。自分の内面を示すものでは、断じてない。